親鸞会と寺院の構図 

寺院後継者が語る かくて私は"寺"の使命に目覚めた

 親鸞会に集う若者中でも、特に寺院後継者の声を聞いてみた。本当の親鸞聖人のみ教えを知らされて、どう変わったのだろう。

僧の勤めは葬式・法事!?

 関西の寺の次男に生まれたS氏は言う。
「小さいころから、葬式・法事が僧侶の勤め、これさえしていれば生活できると思っていました。
 親鸞会とご縁があって、そうではなかった、布教しない者は仏弟子に非ず、と知らされました。
 西本願寺も仏青という仏教青年会がありますが、スポーツやカラオケなど、その場限りの人集めです。だから若い人はよりつかない」
と寺の実態を指摘する。

 

法施なき寺の行く末

 大学でインド哲学を専攻する、H氏は、寺の現状をこう見ている。
「寺は地域に地盤を築き、葬式・法事を財源に成り立っています。だから、小さな寺は衰退するしかない 。
 住職はお金のことばかり心配していると、友人の寺の息子がよく言っています。
 法施のない寺の行く末は目に見えています。本当の親鸞聖人のみ教えを、早く伝えねばなりません
 親鸞会で本当の親鸞聖人の教えにめぐり会い、学んだ純粋な親鸞聖人のみ教えを胸に、社会へ羽ばたく若き旗手たち。家が寺なら、教えを渇望する門徒にも、正法弘宣(正しい教えを伝えること)の時節到来である。

 

「人生の目的」が『正信偈』に

 同じく大学で学ぶR氏は、寺の三男である。
「幼いころから、『お聖教は床に置くな』と言って育てられ、漠然と仏教は尊いものと思っていました。しかし、どこが尊いのかを知りませんでした。
 高森先生から、親しみのあった『正信偈』を通して、仏教は人生の目的を説き明かされたものだと聞かせていただき、真の尊さを知ることができたのです。
 親鸞会でしっかり学び、まず自分の寺でこのみ教えを伝えてゆきたいです」
と抱負を語る。

 

真実を知り、布教戦線へ

 西日本の西本願寺末寺の息子、E氏は次のように語る。
「小さいころから、正月はどんなに大雪でも門徒の年始回り、報恩講にはチラシ配りをしていた。
 周りは寺の子供という厳しい目で見る。寺に生まれて損をした、絶対、寺は継がんと思っていた」
 しかし、大学で親鸞会と出会うや一転した。
 将来の進路を高森先生にご相談した時のことである。
「ご法話の昼休みに面会させていただき、高森先生は、『この道は求める者が多くて与える人が少ない。お仏飯で育った者ならば、やるべきじゃないか』と仰有った。強烈でしたね、恥ずかしくなった」
 寺に生まれた者の使命は、「親鸞聖人のみ教えを一人でも多くの人に伝えること以外にない、と布教に立ち上がった。

 

「寺の責任を全うしたい」

 対して、「仏教が分からんのに、葬式・法事の手伝いをするのは無責任」と、子供心に信念を持っていたのは、関西の大谷派寺院の長男、G氏である。
 「僧侶たちは集まると、『近ごろはテレビができた、レジャーが増えた、楽しみが一杯ある。昔は何にもなかったから寺が盛んだった』まるで寺を娯楽会場と勘違いしている」と指摘する。
 仏教を学ぼうと、大学でインド哲学を専攻したが、学問のための学問に失望。その後、親鸞会と縁があった。
「初めは寺の内部から改革しようとしたが進路を高森先生にご相談すると、『私なら布教戦線に立つ』と仰有った」
 この一言が決め手となり、布教に専念する道に進むことを決意した。

 親鸞聖人の本当のみ教えを知らされてこそ、寺院後継者の使命に目覚めるのだ。